若柳禄寿先生 6月22日

〈ま〉の日常

 

   

若柳禄寿先生が亡くなられました。

 

 

 

 

新日屋さんのブログからお借りしました。 

 

 

 

先生のお弟子さんたちのご一門〈若禄会〉の皆さんが公表され、ヤフーニュース等の

ネット記事にもなってますので、書きますね。

 

 

亡くなられたのは6月9日10時。そう、ろ・く・じゅ、です。

 

 

ボクはその日の内に、先生のお弟子さんで女優の菜月ひとみちゃんから連絡を頂いた

のですが、お通夜やご葬儀の日は秋田・康楽館での舞台稽古が決まっていて、先生の

お顔を拝むことは出来ませんでした。

 

 

お通夜・ご葬儀は先生のお家のすぐ側の深川のお不動さんでした。お不動さんは普段

そういうのはなさらないのですが、長年のお付き合いで、特別にやって下さったのだ

そうです。 

 

 

 

 

日本に商業演劇なる言葉が出来た昭和30年頃、映画スターや歌手の方をメインに、あ

るいはテレビの普及でどんどん出てこられたスター俳優さん・女優さんをメインに、

大劇場で一ヶ月単位で公演されるお芝居がドンドン隆盛になっていきました。

 

長谷川一夫先生の東宝歌舞伎も、森光子さんの『放浪記』もそこから生まれたんです

よ。

 

東宝さんの帝劇、芸術座、東京宝塚劇場、松竹さんの歌舞伎座(昔は一年の内何ヶ月か

は歌舞伎じゃなかったんですよ) 、新橋演舞場、そして明治座さん、新宿コマさん、

三越劇場さん。

博品館劇場だって出来た当座は東宝さんの一ヶ月興行なんてやってたんですから。

 

名古屋では御園座さん、中日劇場さん、名鉄ホールさん、

 

関西では松竹さんの京都南座、大阪中座、松竹座さん、そして新歌舞伎座さん、梅田

コマさん。

朝日座さんなんてのもありました。

 

隔世の感がありますなぁ。

 

 

とにかく、その商業演劇の世界で(もちろんテレビ等 映像の世界でも)振付・所作指

導という分野が出来て、その初期のころから今日まで、ずっと第一人者として活躍さ

れてきたのが禄寿先生なんです。

 

 

勿論テレビが出来てからは「シャボン玉ホリデー」や時代劇でも振付や所作指導を

ずぅううううっと。

 

 

  

ボク、何本、いえ何十本お仕事させていただいただろう。

 

最初は……もう覚えていません。あれもこれも……

 

最後は2020年、コロナ下での明治座さん氷川きよしクンの公演でした。

 

 

 

まだ実感がありません。

4月にもお食事したばかりなのに……

あんなにバイタリティ溢れた先生がもういらっしゃらないなんて。

直ぐにも「若柳禄寿でございます」と電話がかかってきそうな気がします。

 

 

 

 

こんなことがありました。

ボク、よく神保町の矢口書店へ行くのですが、つまりですね、そこは演劇や映画、台

本専門の古本屋さんなんですよ。

 

ある時そこで『雲の上団五郎一座』の舞台台本を見つけて、日付は昭和34年1月だっ

たかな。とにかくボクの生れた頃です。

思わず手に取ってめくると、まだ手書き文字の頃の台本です。四角い台本文字、懐か

しいなぁ。ボクがまだ30代の頃まではそうだったんですよ。初めての三越劇場さんも

明治座さんの暴れん坊将軍も。

 

スタッフの名がズラっと並んでいます。

まず脚本・演出の菊田一夫先生。ずぅうっと見ていくと振付・所作指導 若柳禄寿!

先生、いつからやってはんねん! ボクが生れた頃にもうやってはんの?

 

それを後日先生にお話すると、「それは初代です。私は2代目です」とニコニコしな

がら仰る。お茶目。

 

 

 

とにかく早い先生でした。

「先生、この新曲に振りをお願いします」と言うと、その場でイヤホンで、目をつぶ

って一回聞いたら「はい、出来ました」と振付にかかる。そんなすごい先生でした。

 

 

先生主催の〈春秋会男組〉も第1回から最後となった6回まで全て作・演出をさせて

いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは明治座さんでの山川豊さんと水森かおりちゃんのW座長公演の稽古場で。

右端が禄寿先生。川野太郎ちゃん、大信田礼子さん、北町義郎さん、遠藤真理子ちゃ

ん、重田千穂子さん、丹羽のさーちゃん、そして中村や安奈や根本の顔も見えます。

楽しかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは春秋会男組の公演で片岡愛之助丈と。

 

 

 

 

しょっちゅうお食事のお誘いのお電話を頂きました。

でもコロナで地元に引っ込んでいて、中々実現せず……

そこで4月の頭、三山クンの稽古中に、先生と衣通真由美さんと3人でお食事しまし

た。

とてもお元気でした。

次は5月の後半にと約束して別れました。5月の後半に電話をしたら、「今入院して

るんです。でも直ぐ出ますから」と元気なお声でした。

 

 

 

 

 

先生、本当にお疲れさまでした。

 

 

本当にいろいろありがとうございました。

 

 

心から、心からご冥福をお祈り致します。

 

 

 

 

 

 

« »