漫才論議? 「漫才ではない?」「漫才です!」 12月21日

観劇

 

   

マジカルラブリーの優勝で幕を閉じた今年のМ一1。

 

 

 

 

 

 

確かにここ数年に比べたら……特に去年と比べたら……と思います。

 

 

何でこんなことを書くかと言うと、ネットでマジカルラブリーとおいでやすこがに

「あれは漫才ではない」「漫才は見取り図だけ」「漫才ではないのが優勝はおかし

い」「審査員はおかしい」という書き込みがいっぱい出ていたので。

 

 

ちなみに見取り図に入れたのが、巨人師匠とナイツの塙クンの2名。

マジカルラブリーが、サンドの富澤クンと志らくさんと中川家の礼二クンの3名。

おいでやすこがが、松本さんと上沼さんの2名。

つまり松本さんと上沼さんと富澤クンと志らくさんと礼二クンは漫才ではないものに

入れたことになるわけです。

 

 

 

上方漫才大賞という賞があります。1966年より始まって今年のシャンプーハットで

第55回。関西の演芸界では最も権威のある賞の一つです。

大賞の他に奨励賞、新人賞があり、55年の歴史には、漫才の歴史に名を遺す大師匠

や、今をときめく方々が名を連ねてらっしゃいます。

 

第1回の大賞がかしまし娘の三師匠。

以下ビックネームがいっぱい並んでいます。

(敬称略をお許しください) フラワーショウ、横山ホットブラザーズ、敏江・玲児、

レツゴー三匹、チャンバラトリオ、宮川左近ショー、トリオザミミック、三人奴、

漫画トリオ、ミスハワイ・暁伸……大看板のオンパレード。

昔すぎるって? 平成になってからでも平成15年に横山ホットブラザーズさんが大賞

を獲ってらっしゃいます。長男のアキラ師匠がつい先日お亡くなられたニュースは、

まだホヤホヤですよね。

 

で、この方たちの共通点は、しゃべくり漫才ではない、なのです。

 

 

漫画トリオさん。若い人はご存じないでしょうが、上岡龍太郎さん(当時・横山パン

チ)と元大阪府知事の横山ノックさんと青芝フックさん(当時は横山フック)です。こ

の人たちの芸風は今風に言えばほとんどコントです。

チャンバラトリオさんなんてほとんどコントでしょ。でも漫才なんです。

 

 

 

コントと漫才の違いはどこにあるのか? 昔から議論はありますが、定説は、

漫才はマイク1本の前で、扮装せずに、素(す)から始めて、小道具やセットはナシに

無対象 (音曲漫才の楽器や、そのネタに根本的にかかわるものだけ・チャンバラさん

の刀や、横山ホットブラザーズさんののこぎりは例外です) で笑わせる芸。

 

対して、コントは扮装し、素を封じて、舞台で芝居の如く演じて笑わせる芸。

ついでに言うと、コントは笑いを目的とした寸劇のことです。つまり芝居なのです。

なので小道具はアリです。その代わり場面転換はまず無理です。(漫才ならセリフ1つ

で渋谷の交差点から富士山頂まで行けますが)

 

 

この定義から行くと、漫画トリオさんもチャンバラトリオさんも漫才なんです。

 

 

漫才は、マイク1本の前で、扮装せずに素を見せて笑わせる芸。そしてその形態は

1つではありません。実に多岐にわたっています。つまりかつての大師匠たちのス

タイルも、しゃべくりだけではなく実に多岐にわたっています。先述の大師匠たち

もそうなんです。

 

もちろん近年、ていうか М一1が開始されてより、しゃべくりこそが正統、王道、

主流派という雰囲気になっていますけれど。

つまりМ一1から漫才を知った方にとっては、しゃべくりだけが漫才となっている

のでしょうか。

 

 

 

 

ここに1冊の本があります。

『まんざい』井上宏 著。関西大学教授。1981年、世界思想社刊。

 

その中にこんな引用があります。

1974年、杉本書店刊。前田勇著『上方まんざい八百年史』より。

漫才の形態は次の4類10種に分類される。

   ⑴ 音曲漫才  ➀俗曲漫才 ➁語りもの漫才 ③歌謡漫才 ④曲弾き漫才

   ⑵ 踊り漫才

   ⑶ しぐさ漫才 ➀寸劇漫才 ➁身振り漫才 ③仮装漫才

   ⑷ しゃべくり漫才 ➀掛け合い漫才 ➁ぼやき漫才

 

これでいけば和牛は⑶の➀になります。勿論基本はしゃべくりですが。マジカルラブ

リーは⑶の➁ですね。 

 

関東の漫才もこれらにあてはまります。 

以後これ以外にももっと増えているでしょう。敏江玲児さんのどつき漫才てのも

あったし、若き日のレツゴー3匹さんの運動会漫才(皮肉的な意味ですね)なんての

もありました。あ、マジック漫才なんてのもありますね。ナポレオンズさんです。

昭和のいる・こいる師匠は何だろう。追随漫才とでも言うのでしょうか。(^O^)

明日ひろし・順子師匠は⑴と⑵と⑶と⑷の合わせ技か?(^O^) 

 

ナイツさんも、土屋クンがずっとテレサテンを唄って、塙クンが横でぼやくだけ

なんてのをやってますよね。

 

 

 

 

漫才の歴史を見れば、三河万歳等の旧式から、明治になり、寄席でやるようになり、

近代化が進みました。旧式を最も近代に合わせたのが砂川捨丸・中村春代師匠です。

ボク、間に合ってます。ボク子供のころ観てるんですわ捨丸春代師匠。

でもスタイルはまだ紋付き袴に、鼓とハリセンの旧式ですね。

 

それをただしゃべくり1本にしたのが横山エンタツ・花菱アチャコ先生です。残念

ながらこのお二方は音声でしか知りません。

 

 

ではなぜエンタツアチャコ師匠がしゃべくり1本にしたのか。ラジオです。ラジオの

登場がセリフのみで説明するスタイルを生んだわけです。

 

最初は叩かれたでしょうね。芸人は芸が出来て一人前と言われた時代。なので昔の師

匠たちはほとんどが三味線等の楽器や踊りが出来ました。でもラジオで踊っても伴奏

しか聞こえない。無意味なんですわ。なのでラジオではみんな、実は踊れても歌えて

も、しゃべくりに転向し、ラジオで皆全国的に有名になった訳ですわ。

 

でも寄席では本来の芸を見せていた。

 

 

そして戦後。テレビが登場します。テレビは映像ですから、寄席の風景をそのまま表

現できる。さぁ又も多岐に渡るようになりました。勿論しゃべくりはしゃべくりで発

展ていきます。

 

 

そんなしゃべくりを完成させたのが、中田ダイマル・ラケット師匠、いとし・こい

し師匠、お浜・小浜師匠。片や音曲ではかしまし娘師匠、そして現在のしゃべくり

にマジ完成させたのがオール阪神巨人さん、それらを変えたダウンタウンさん。

これだけ覚えておけばまず漫才史は大丈夫。歴史的漫才師の皆さんです。

 

あ、やすしきよし師匠はちょっと違うので入れてません。ごめんなさい。

 

 

もう一度。くどいですが。しゃべくりが正統だ、となったのは昭和になって、てかテ

レビが出た戦後です。つまり根本の話芸だけとなって、初めて、それまで落語より位

が下とされた漫才が、落語に対抗できたと言われたのです。

それまでの正統漫才は音曲が出来て一人前と言われていた。ですから戦前からの師匠

はみんな歌舞音曲が出来た。ミヤコ蝶々さん、小浜師匠、今喜多代師匠、タイヘイ師

匠、元々荒川一門だったいとしこいし師匠もです。それがしゃべくり1本でもいいの

だとなり、移動に面倒な楽器を捨て、しゃべくりに転向する方が多くいたのだそうで

す。 

 

そんな中で最も爆笑を取った雄がダイマルラケット師匠ですが、この方たちの名作は

しゃべくり漫才だけではなく、服は脱ぐわ、動き回るわ、それはすごかったですよ。

 

でも音曲やその他のスタイルをずっと守ってらした師匠も多くいらっしゃいました。

かしまし娘師匠は楽器をもって、三遊亭小円・栄子師匠はつねに『婦系図』や『金色

夜叉』を芝居仕立てで、三人奴師匠は太棹で義太夫を演じながらそこへ笑いを入れ、

宮川左近師匠は名調子、暁照夫師匠はものすごい三味線の曲弾きをしてらっしゃいま

した。タイヘイトリオ師匠、ミスハワイ・暁伸師匠、フラワショウさん、ちゃっきり

娘さん、ジョーサンズさん、東洋朝日丸日出丸さん……

  

エンタツ・アチャコ師匠以外は全員見てます。

そして見たことある全員が漫才師です。

 

 

 

巨人さんや上沼さんは、全員とじかに接してらっしゃるでしょう。上沼さんの師匠

は海原お浜・小浜師匠やし。小浜師匠は海原やすよ・ともこさんのお婆様です。

 

松本さんも、大半の方を目にしてらっしゃるはずです。ダウンタウンさんがデビュ

ーされたころは、大半の方、まだお達者でしたから。

  

つまり、漫才にはいろんなスタイルがあるんです。そのことを巨人さんも上沼さん

も松本さんもご存知の上で、ご自分が一番と思われたコンビに投票されたと思いま

す。恐らく礼二さん、浅草の漫才協会副会長の塙クン、落語家の志らくさんも承知

の筈です。

 

  

第2回で松本さんがテツandトモに対して「これを漫才と呼んでいいのか」と仰った

ことがありました。でもあれはギターを持ったものを漫才と認めないと言ったわけで

はなく、内容が漫才の範疇から出ているのでは、ということだとボクは解釈していま

す。

 

 

 

その上で、

 

マジカルラブリーもおいでやすこがも漫才です。

ボクは疑いもしませんでした。

 

勿論現在正統派と呼ばれるしゃべくり漫才ではありません。それは確かに見取り

図だけでした。ボクも昨日書いてます。巨人師匠は見取り図に入れるだろうなと。

 

 

ここでひとつ。和牛がすごいという話。

彼らは必ず何らかの設定で役を演じます。だいたい川西クンが女性を演じますが、彼

らのすごいところは演じている設定から素に戻らないところ。つまり水田クンの非常

識なフリに対し、川西クンは役のままで突っ込む。その瞬間、素の川西クンに戻って

「何でやねん」とはならず、役のままで「なんですって」とくるわけです。ひとたび

ネタに入ると素を封印し、ずっと演じ続けている。ということはコントなんですよ。

でも……漫才です。あのスタイルは、素で出てきて、扮装をせず、マイク一本の前で

始まるあのスタイルは、立派な漫才なのです。

 

 

 

マジカルラブリーもおいでやすこがも漫才です。 

しゃべくりだけが漫才、というのは、あまりに乱暴です。

漫才はそんな小さな分野ではありません。たった1つのスタイルではありません。

 

 

 

好みはありますよ。

ボクも基本しゃべくりが一番好きです。

でも、しゃべくりが一番好きなボクでも、今回ボク的には見取り図より、マジカルラ

ブリーやおいでやすこがの方が面白かった。なぜか。あの2つのコンビが漫才ではな

い、とは思いもしなかったからです。

 

 

審査員さんたちはプロです。その世界を見て、歴史を知って、そこで生きている人た

ちです。漫才の範疇に入っているものならば、その中で、その上で、自分が一番と思

うコンビをそれぞれが選ばれたはずです。

 

 

マジカルラブリーより見取り図の方が面白かった、という意見なら、アリだと思いま

す。人それぞれですもの。今年はつまらなかった、という意見もアリです。

でも、どうか、「あれは漫才ではない」とか「審査員は漫才が分かってない」とか

言わないでください。少なくとも審査員の方々は、ボクや皆さんよりプロなんです。

 

それに、2人のしゃべくりの応酬がないと仰るなら、霜降り明星の優勝もおかしく

なってしまいます。しゃべくりの応酬はなく、せいやは動き回り、そのボケに対し

て粗品1人が突っ込む。でもあのスタイルも漫才の筈です。

 

 

 

あの漫才をコントだと仰ってる方もたくさん見ました。

 

でも、たとえばサンドウィッチマン。ボク、大ファンです。無条件でファンです。

彼らのネタは、内容もセリフも、漫才とコントの違いはありません。

漫才の場合は、 背広等、素の彼らの衣装、そして素の会話で始まります。「こんにち

わ。宜しくお願いします」「世の中には興奮することがいっぱいありますけど、一番

興奮するのは○○ですね」「間違いない」で、その世界に入ります。

コントの場合は素の部分はありません。役の扮装をして、いきなり内容に入ります。 

そして(簡単でも)セット、小道具があり、演劇として演じます。

その2つのネタは、どちらをどちらに持って行っても可能です。でも漫才は漫才、

コントはコントなんです。

これは和牛のネタでも同じことが言えます。もちろんセットがワンセットでやれるも

のに限りますが。

 

コントでしかできないネタ、漫才でしかできないネタも多々あります。かまいたちが

キングオブコントで優勝したネタはコントでしかできないでしょう。ですが、どちら

でもできるネタも多々あるのです。

それでも漫才は漫才、コントはコント。それは、ネタよりもスタイルなんです。

  

あ、昔漫才ブームのころに、コント山口君と武田君、石倉三郎さんと熊さんのコン

ト・レオナルドというコンビが有名でした。彼らは漫才の中に混じってネタをやる

ため、セットもなく、小道具も最低限。衣装もいつも同じようなもの。でも、それ

で出来るネタを作ってらっしゃいました。そしてそのネタは、あくまで素を封じた

芝居でした。

 

 

 

 

マジカルラブリーとおいでやすこががやったネタは、漫才なんです。正統派しゃべく

り漫才ではなかっただけで。 

特にマジカルラブリーのネタはコントでは出来ません。無対象の漫才だから出来るネ

タです。

 

 

 

 

 

確かに去年に比べれば…………でした。

今年和牛が出ていればどうなったか……

インディアンスがもっと順番が後だったら…… 

でも、おいでやすこがの1本目、ボクは爆笑しました。

 

 

 

今年はしゃべくりが、それ以外のスタイルに負けたということだと思います。去年ま

では、(霜降り明星を除いて) しゃべくりがずっと勝っていた。とくに去年は過去最高

レベルで、ミルクボーイとかまいたちは圧巻でしたから、余計そう見えるのだと思い

ます。

 

 

「時代が変わった。漫才の形が変わってきた」と仰る方も多くいらっしゃるようです

が、しゃべくり以外の漫才が増えるようなら (ボクはそうは思いません。やっぱり主

流はしゃべくりだと思います)、が、もしそうなってくるなら、それは時代が変わった

のではなく、昔に、もっと多岐に分かれていたころに戻るということだと思います。

 

 

 

 

クドクドと取り留めもなく書き連ねてしまいました。お許しください。

でも、「あれは漫才ではない」という意見が悲しかったので。

 

 

 

 

来年は又しゃべくりが主流になるでしょう。やはり主流は主流ですから。

ボクはインディアンスに期待しています。もう少しお洒落になってくれないかなぁ。

m(__)m

 

 

 

 

 

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