岡田正子先生 7月3日

 日記 〈ま〉の日常

 

   

岡田正子先生が亡くなられました。

 

 

 

 

 

 

写真はネットの新聞記事からお借りしました。お許しください。

 

 

 

どういうわけかまだ発表がありません。

でも29日お通夜、30日本葬。

ボクは29日のお通夜に行ってきました。

お葬式も終わったんです。書いてもいいですよね。

ボクの責任下に置いて書きますね。

 

 

 

ボクがこの世界に入った一番最初が、劇団NLTの俳優教室。

そこでお出会いして39年。

いっぱい教えていただきました。

 

 

岡田先生は戦後フランスのパリに。

そこで演劇指導者のベラ・レーヌ女史に師事。10数年学び、ベラシステムを日本人で

唯一教えることを許されて帰国。

宝塚、テアトルエコー、そしてNLT、かつて坂東玉三郎さんがお創りになっていた

東京コンセルヴァトリーで指導者に。

更に日本には珍しいフランス戯曲の翻訳と演出家として生涯大活躍。

ベラ女子門下で同期のニコラ・バタイユ氏やロジェ・デフォッセ氏が来日して日本で

お仕事をされる時には、必ず翻訳・演出助手を勤められ芸術祭賞も。

 

 

演劇界に先生の生徒はいっぱいいます。 ボクもその1人です。

 

 

その功績からフランス政府から芸術文化勲章(シュバリエ)、フランス劇作家・劇作曲

家協会からボーマルシェ賞を受賞されています。

 

 

パリでの出来事。義兄となられた遠藤周作さんとの出会い……

すごい話、歴史的な話、いっぱい伺いました。 

 

 

 

NLTの俳優教室で一年間、更に夏の夏期講習、ワークショップと教わりました。

岡田先生の作品にも出ました。まだ20代の時ですけど。

とある雑誌のインタビューもご自宅で受けていただきました。

クリスマスに先生お手製の七面鳥もいただきました。

 

  

ボクの芝居をいつも観に来てくださいました。

 

 

よく叱られました。(^O^)

若い頃ボクは企画外ればかりしていて、「イケ、そんなことしちゃダメよ」

あ、先生は生涯ボクのことを「イケ」とお呼びでした。

 

 

 

2019年、復活なったテアトロ演劇賞の正賞をボクが頂戴した時、先生が功労賞でし

た。

授賞式に行くとき、電話で「先生、ボクがついてますから安心してください」と言っ

て、席も隣にしていただきました。

 

その時先生が「イケ、私いくつになったと思う?」と仰るので、ボクが「90でしょ。

先生昭和4年ですもん」というと、「どうして知ってるの!?」「先生昔から言うては

りますやん、昭和4年て」というと、いきなり脇腹をつねられました。で先生一言、

「女の歳は忘れるものよ!」。お見事です。(^O^)

 

 

最後にお会いしたのは一昨年。たまたま、本当にたまたま東横線でバッタリ。ちょっ

との間でしたけれど並んで座って。あの時先生どこに行こうとなさってたんやろ……

思い出せない……

 

 

 

 

演劇でもプライベートでも本当にお世話になった恩師。

賀原夏子先生、戌井市郎先生、淡島千景先生、藤間祐輔先生……

そして岡田先生も……

 

 

 

先生、お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

野村昭子さんが亡くなられたとの報が。

 

ボクは仕事をしたことがありません。

でも、

ボクが小学校らなったころ始まった 『ウルトラQ』のカネゴン。

古谷一行さんの金田一耕助の大家のおばさん。

『金太十番勝負!』『家政婦は見た』『渡る世間は鬼ばかり』etc.etc.etc.……

なんか55年間ずっとテレビで観ていたような……

そういう意味でも国民的女優さんでした。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

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