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春の嵐 5月5日

〈ま〉の日常

  

 

子供の日ですね。

 

世はゴールデンウィーク。中には10連休なんて人もいらっしゃるとか。

 

でもわたくしゃ締め切りでごんす。

 

これ、昨日も書いたな。

 

 

 

 

さて、一昨日、昨日の朝まで、ものすごい風でしたね。

 

台風かと思ってしまいました。

 

とくに深夜、実家の雨戸や家中の襖までガタガタいって。

 

朝起きると、庭の紅葉の枝が風で折れていました。

 

 

 

 

 

 

ね。真ん中からボッキリ。

 

正しく春の嵐。

凄いですなぁ。

 

 

 

 

そういえば、アメリカ大統領選、

トランプ氏の大躍進。

こちらも春の嵐のようで……

 

 

本音というものには二種類あるように思います。

 

 

1つは困った本音。マイナスのというか悪い本音というか。

自己中な発言。クレーマーからの攻撃。モンスターペアレンツの暴挙。

昔なら、相手を思いやり、自己を律して、絶対表に出てこなかった本音です。

 

 

それに対し、いい本音というか、正論なのに言えない本音というか。

ほとんどの人がそう思っているのに、

世の風潮や、一部の人の大声に、言いたくても言えない訴えというか。

 

 

トランプ氏はそれを平然と言ってのけて、

普通なら、それを言ったら大変なことになるよ、ということを

堂々と言っちゃってここまで来ちゃったような気がしますね。

 

 

 

 

正しく春の嵐ですなぁ。

 

 

子供の日の話はどこへ行った?

 

 

 

 

Q.E.D.って難しい? 5月4日

〈ま〉の日常

 

 

 

5月ですねぇ。

 

もう、早い早い。

 

世間様はゴールデンウィーク。

今年は取りようによっては10日も休みなんですって? 凄い。

 

ボクは締め切りでごんす。

 

 

さて、前回書いた「99.9」快調に飛ばしてますね。

 

 

 

 

 

 

 

面白い。ボクもハマってます。

 

仕事の合間の楽しみでごんす。

 

そう、「相棒考」ならぬ「99.9考」でやんす。

 

なんだか、相棒が終わるとこっちへお鉢が回ったような。(笑)

 

 

 

 

で、第3話です。

問答無用やな。

 

でも楽しいドラマなので、ついついやってしまうのですよこれが。

 

で、行きます。

 

 

 

おしいなぁ。ホントにおしい。

 

前回も書きましたが、0.1 が逆転勝利するには、

絶対的な証拠か、絶対的なロジックが必要です。

 

つまり、Q.E.D.が絶対条件なのです!

 

 

有栖川有栖氏の『スイス時計の謎』のものすごいロジックなど好例です。

 

 

でも、今回も、最後の法廷での榮倉さんの証明、Q.E.D.になっていません。

ボクが検察なら、というか、普通ひっくり返しますよね。

 

 

順を追っていきますよ。

以下ネタバレありです。

 

松本クンが被害事務所へ行って、社長と専務に金庫を開けさせたとき、

暗証番号の紙を見せましたよね。

 

あれ見た時、皆さんも気づいたでしょ。

あ、「0」と「6」、どっちだ?って。

なるほど、暗証番号に対して、真犯人と被告人の認識が違うなと。

 

この時点で専務はどっちかは分かりませんが、というのは

分かってて間違ったふりをしていることもあるからです。

ま、今は、専務の話はちょいと置いといて。

 

 

つまり、今回の0.1 は暗証番号の認識だと、皆さんも思いましたよね。

となると今回のテーマは、犯人と被告人の認識が違うと、完全に証明することです。

 

でも……

 

ドラマの中でそれがありませんでした。

 

 

最後の法廷場面で、社長は番号を6と認識していたことは証明できました。

でも被告は……? 

榮倉さんが、「被告人は0と認識していたのです」とセリフで言っただけです。

つまり証明されていません。

 

 

ボクが検察なら、あの時点で「それがどうした」というでしょう。

 

だって被告がウソをついているかもしれないのです。

被告にだって金庫を開けることが出来たかもしれないからです。

それはなぜか……

 

問題は被告の勤続年数と、社長の字の癖です。

 

被告はあの会社で6年経理として働いていました。

 

暗証番号は社長が毎月変えていて、その都度紙に書いて専務と被告に見せていた。

それは、4ケタの数字を2つ書き、それを見せ、その2つを足した数字が番号です。

つまり一度に8つの数字を見せていた訳です。

 

つまり年間12回で勤続6年、被告が勤めてからも計72回も見てきている訳です。

 

更に8つの数字の中に6が出る確率は、恐らくすごい数ですよね。

 

もうお分かりですよね。

 

今回のような6と0の間違いなんて、6年の間にとっくにやっている筈です。

被告にも専務にも、社長の書く字の癖はもうすっかり判っている筈です。

つまり社長が書いたのは6か0かなんて、とっくに把握している筈です。

事実、専務も被告も一週間に一度は金庫を開けているとの証言がありました。

 

このやり方は、今回初めてやったやり方なら話は別です。いつもは口頭で伝えて

いたが、今回初めて紙に数字を書いたと。あるいは、右手を怪我したので、今回

初めて左手で書いたから字が変になったとか……

でもそんな場面はありません。つまりずっとこのやり方をやってきたわけです。

 

つまり、6と0の間違いはおこらない……

少なくとも、前半、暗証番号の書かれた紙を見た時、ボクはそう思いました。

その上で被告人を犯人ではないと証明しなければならないと。

 

まだ犯人は社長か専務かは分かりませんが、被告は犯人ではないとして、

犯人と被告の6と0の認識の違いを証明する……

というよりも、社長と専務と被告の全員が社長の字の癖を把握していると

考えるのが妥当である場合、三人とも同じ暗証番号の認識であり、それを「

私の認識は違います」というのなら、それは嘘をついていることになる訳で、

その中から被告人の無罪を勝ち取るためのQ.E.D.って一体?………

 

これは凄いぞと、ワクワクしました。

 

 

ですが、結局その証明はありませんでした。

 

榮倉さんが「被告は0と認識しています」とセリフで言っただけです。

結局、6年間も社長の字の癖を見続けてきた経理が、6と0を間違った

ということになる訳です。

 

ボクが検察なら、「被告はあの数字が0か6か、知っていたはずだ」と

言うでしょうね。「6年間も経理を担当し、社長の字の癖などとっくに

把握している筈で、つまり被告は金庫を開けることが可能であった」と。

「違うというなら、証明しなさい!」と。

 

 

で、結局、社長が膝から崩れてしまって、つまり自爆して終わり。

 

昔、「ア・ヒュー・グッドメン」という映画があって、

トム・クルーズとジャック・ニコルソンの手に汗握る法廷場面があって、

なのに、結果Q.E.D.じゃなく、犯人の自爆で勝利!

映画としては名作だけれど、法廷推理劇としてはあの映画はアンフェアの駄作です。

 

 

それと同じ事は、出来るだけ避けてほしいなぁ……

 

 

では、どうすればQ.E.D.が出来るのか。

 

6と0の話はこのさい捨てましょう。

 

続いて金庫のボタンの指紋問題ですが、追及はダメでしょうね。

お金が無くなっていると気づいた時の社長の指紋の下に

被告の指紋があれば、もう言い逃れは出来ませんが、

それでも犯人が手袋をしていたら関係なくなります。

 

可能性があるとすれば、

暗証番号が全く違っていた。つまり専務と被告の認識とは全く変わっていて、

その番号は社長が何らかの事情で、前夜にもう一度変えていた。

しかし、金がないと騒ぎが起こったすきに、社長が元に戻していた。

この一連の社長の偽装工作を、明らかにできれば……

 

例えば、賄賂の一千万を取り出した時、誰かに見られ、それで慌てて

番号を変えていたとしたら……

その見た奴を捕まえて証言をさせたら……

 

ううん。難しいなぁ。

一晩ゆっくり考えないと…… 

 

ああ、締め切りが!……そんなんやってる時間あらへんがなぁあああ!

 

あ。さっき書いたのでええんやんか。

右手を怪我したから初めて左手で書いた。だから6と0がややこしくなった。

これからQ.E.D.までもっていけるかな……そうか?

 

 

 

丁寧に、かつ大胆に作られている、面白いドラマです。

シリアスとギャグの塩梅も素晴らしく、

松本クン、楽しいそうに演じてらっしゃいます。

彼の代表作の一つになるでしょうね。

ボク的には、今期イチオシです。

 

ましてテーマが0.1 パーセントの逆的劇。

ワクワクします。

 

 

 

次回こそ、パーフェクトな、Q.E.D.を切に切に願っています。

 

 

 

 

超画期的〈負けエンブレム展〉 4月27日

 日記

 

 

 

 

東京五輪のエンブレムが決まりましたね。

 

人間には好みがあります。

100人中99人がピザを好きといっても、ボクは牛乳チーズバターが

全くダメなので、口に入れるとゲロを吐きます。

 

それとエンブレムを比べちゃダメですが、

ボクは四つの中ではB案(あの輪っかの奴ですね)が好きでした。

 

当選したA案はボクの中では四位です。

 

勿論これらや以下に書く事は全てボクの個人的考えですから、

先に謝っておきます。

勝手な事を書いてごめんなさい。

 

 

でもあの案……

 

地味やし、というか、良いデザインとかいう前に、あれ、不祝儀でしょ。

 

それとあの柄は表柄じゃありませんよね。つまり、家紋には出来ますが、

着物の柄にはなりません。浴衣の柄です。

浴衣は正装ではありません。家中やプライベートのものです。

ムリクリ着物の柄にするとしたら〈絽〉か〈紗〉かなぁ。

なら、なんとかなるか……でも……自身の一世一代の日に、絽か紗を着ます?

 

いいのかなぁ。いいデザインというのと違う次元で、いいのかなぁ。

 

事実一般投票でも最下位やし。

 

勿論、好みですからA案が一番好きという方もいらっしゃるでしょう。

 

でも、一般で最下位を選ぶ理由とは?

「最も素晴らしい」という理由はダメですよ。一般最下位なんですから。

「いやいや、実はものすごい意味があのデザインに込められているんですよ」

とおっしゃるなら、その意味を教えてくれないとねぇ。

というか、そんな意味を見抜く芸術家って、審査員に何人入ってます?

 

つまり違う理由があったという訳ですよね。

頑強に押した審査員がいたとか、他の三つに二の足を踏む事柄が出てきたとか。

 

それをキチンと言ってほしいですよね。

でないと、最終候補四案を公開した意味がありませんし、

逆に又もモヤモヤ感というしこりを残します。

 

勿論、これはボクの好みですから、すみません。

 

 

 

 

キングコングの西野亮廣クンが、落選したエンブレムから

『負けエンブレム展』をネットで開催しました。

 

〈負けエンブレム展〉で検索すれば出てきます。

 

いやいや、楽しいですね。

 

才能ある方がいっぱいいらっしゃるんですね。

折鶴のも素晴らしいし。

ちなみに銀シャリの鰻クンの赤いご飯の奴、おもろいわ!

 

 

ちなみにこちらが主催者西野クンの作品。

 

 

 

最終的に審査員が密室で選ぶのなら、最終四案を公表するべきではなかったのでは

と思います。

 

 

というより、西野クン、ものすごい画期的なことやりましたね。

 

応募型賞というのは、結果しか見せないものです。

精々、最終候補の約五作品に対して、審査員が批評を述べるくらいです。

ひょっとしたら落選作に、受賞作よりいいものがあったかもしれなくても、

それは一般には見せないのが原則です。

 

ぜぇ~んぶ見せちゃった。

 

いいものがありますものねぇ。

当選作よりいいものがあると、国民が思ったら、大変ですよ。

審査員、今頃ヒヤヒヤもんと違いまっしゃろか。

 

応募型新人賞の歴史に、ものすごい事件が起こったことになる訳でごんす。

 

 

 

さてさて、では今回どうすればよかったのでしょうか。

ボクは以下のように考えました。

 

一万数千件も応募があったのですから、第一次審査で一割に絞り、

それを審査員の方たちが100本に絞る。(審査員も仕事をしないとね)

もちろんその100本は、盗作や類似問題を徹底的に調べて……

大丈夫なものを一挙に公開する。

ここから国民投票です。

国の管理のもと、ネットの投票ページと、各役所・役場に投票用紙を置きます。

投票する時に、名前とマイナンバーを明記します。

これで、同じ人が何度も投票するのを防ぎます。

国家管理の投票ですからマイナンバーの秘匿管理も徹底できます。

せっかくマイナンバーを作ったのですから、使いましょうよ。

で、結果一位が決定エンブレム。

 

これなら誰も文句は言わないと思いますよ。

 

でなければ、四本を公表した意味がありません。

 

決定エンブレムと負けエンブレム展を見て、そんなことを考えてしまいました。

 

 

 

 

NLTコメディ新人戯曲賞では、〈再応募枠〉があります。

 

なんや突然。

 

つまりですね、さっき書いたように、文系の応募型新人賞は

最終候補のタイトルは出しても、結果が決まるまで中身は公表しません。

で、発表されたものに、我々は従うしかありません。

 

でも、そういうものです。

 

NLTはリベンジ賞の〈再応募枠〉を作りましたけど、それだって

選ばれた作品の中身を公開はしません。

 

 

つまりはオンとオフの塩梅です。

 

 

脚本も、コンテストも、何事も、オンとオフの塩梅ですな。

 

 

そんなことを考えてしまいました。

 

好き勝手書いてお許しを。

 

 

それにしても、〈負けエンブレム展〉、ホンマに画期的やわ!

 

 

 

 

 

99.9 4月26日

 日記 〈ま〉の日常

 

 

一昨日、亡き父丹精の牡丹が今年も咲きましたと写真を載せました。

 

実は父丹精の牡丹には二種類あって、早咲きと遅咲きです。

 

一昨日紹介したのは早咲きの中の一コマです。

 

そして今日から遅咲きたちが咲きました。

 

こちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

早咲きは濃いはっきりとした赤。遅咲きは少し薄紅色。

 

それぞれに個性があるようです。

 

 

 

 

さて、いきなりですが、今期のドラマでハマったのが『99.9』でごんす。

 

 

 

 

 

 

 

99.9というのは、刑事事件で一度起訴されたら有罪になる確率なのだそうです。

 

ほとんど全部やん。

 

つまり、もし、もし冤罪だとしても、起訴されたら裁判でひっくり返る確率は

0.1 パーセントなんだとか。恐。

 

 

そんな絶体絶命の依頼者を救うとんでもない弁護士を

楽しそうに演じているのが嵐のМJこと松本潤クン。

 

更に絶好調の香川クン、剛力さんに、岸部さん。

 

いやいやいや、中々楽しいドラマですね。

 

まるで「HERО」の弁護士版でんな。

 

ただ、タイトルや番宣から、松本クンが、いつも0.1 パーセントを

ひっくり返すドラマと解釈していたから、ちょいと少々違ったような……

 

 

以下、ネタバレありです。

 

第一話には二つ裁判が出てきました。

 

一つ目のアバン的な奴は、つまり、第一回目でよくやる「この話はこんなんですよ」

をわかってもらうために、幕開きにテーマ的な場面をコンパクトに見せる奴ですな。

あれは見事でした。

被告が犯人なら、120キロで高速を車でぶっ飛ばさないと間に合わない。

だが、スピード違反を取り締まるカメラに写ってない。

つまり、被告が事件を犯すのは不可能。

実に綺麗に被告無実を証明しています。

 

しかし、本題の赤井英和クンの事件。

地下道の暗がりとライトの関係で、緑は黒に見えるという奴でごんす。

証人である被害者の奥さんが、「すれ違った犯人は赤井クンだ。いつもの

緑のジャンバーを着ていたし」と。しかし、黒に見えたはずなのに緑と

言ったのは最初から赤井クンを犯人に仕立てる為だ!という奴です。

たしかに理屈はとおってますが、普通検事さんなら、ボクが検事でも

こんなん簡単にひっくり返しますよ(笑)。

ミソは〈いつもの〉ジャンバーです。

皆さんも考えて下さい。暗がりだと、全てが暗く色なんてはっきり見えません。

いつもの知り合いと暗がりで会って、知り合いがいつもの服を着ていたら、

黒く見えても、「いつもの黄色いセーターを着ている」と認識するでしょ。

奥さんは、赤井クンが歩いてくると思った。見慣れたジャンバーを着ていた。

暗がりで黒く見えても、いつものジャンバーなら「緑のジャンバー」と

認識するでしょ。だからそう証言した。

つまり「黒く見えたものを緑と証言したからと言って、その人物が赤井クンでは

ない、とは証明できません」と、ボクが検事ならそう言って、その日は閉廷にし

てもらいますね(笑)。

 

つまり0.1 パーセントをひっくり返す論拠としては甚だ弱いんですわ。

 

 

 

第二話。

 

早くも0.1 パーセントの話ではなくなりました。

被疑者は自分がやりましたと認めている。ただし正当防衛だと。

もうこれで十分です。判決で正当防衛を認めさすか、あるいは

無罪にするか。テーマはここのはずです。

 

それを、松本クンが真実を暴きだし、犯人は他にいたけど、

被疑者にも殺意があったことを証明しちゃって、

正当防衛なら微罪のところを、殺人未遂&障害で、実刑になっちゃう。

つまり99.9 パーセントの範疇に、どっぷり入れちゃった。

 

勿論、松本クンの弁護士のスタンスが、〈依頼人の利益〉より

〈真実を知る〉ですから、この展開もいいのですが、

というより、制作側が、第二話で松本クンのキャラのスタンスを我々視聴者に

はっきりと認識させたかったんでしょうね。

でも……

 

タイトルが99.9なのだから、制作側がこのパターンを持ってきちゃダメでしょ。

タイトルが99.9なのだから、必ず0.1 パーセント側の被疑者を持って来なきゃ。

 

 

と、一話二話を見て、思ってしまいました。

 

 

とはいえ、松本クンの演技やキャラ作りはすごく楽しいし、

香川クンも楽しそうにやってはるし、岸部さんは流石やし、

今期一番楽しみのドラマでごんす。

 

 

プロデューサーさん。是非是非、0.1 パーセントを証明して、

美しくスカッとするお話を切に切に望んでおります。

 

 

今期一番の楽しみでごんす。

 

 

 

 

今年も牡丹が 4月24日

 日記

 

 

最初の地震より十日たちました。

 

熊本の皆様はまだまだ大変な生活をされています。

大分をはじめ九州の皆様も不安な日々をお過ごしと存じます。

 

 

亡くなられた方、心よりお悔やみ申し上げます。

被災された方、心よりお見舞い申し上げます。

 

 

私たちには何もできません。

ただ、皆様が一日も早く元の生活に戻れますようお祈り申しますことと、

私にできます範囲で募金をさせて頂く事だけです。

 

どうか一日も早く元の安心した生活に戻れますようお祈り申し上げます。

 

 

 

 

さて、今年も一昨々年に亡くなった父が丹精しておりました牡丹が

花をつけました。

 

 

 

 

 

 

 

昨年、この牡丹が咲きました折にも、この日記に書きましたが、

今年も変わらず咲いた牡丹を見て、昔の芝居のセリフをまた思い出しました。

 

「花の司の牡丹でさえも、冬は菰着て春を待つ」

 (はなのつかさのぼたんでさえも、ふゆはこもきてはるをまつ)

 

 

春になればかならず花は咲きます。

 

そう想いながら、花を見ておりました。

 

 

 

 

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