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舞台は西脇市黒田庄 1月12日

〈ま〉の日常 池田政之の仕事

 

  

大阪新歌舞伎座の4月、三山ひろしクンの公演の本チラシが出来上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この『裲襠松次郎』の舞台は播州黒田藩、つまり西脇市黒田庄なのです。

 

 

 

実は、2006年に俳優座さんに藤沢周平先生の『喜多川歌麿女絵草紙』の脚本を、

そして2007年には、松竹座さんで片岡愛之助クン主演で『蟬しぐれ』の脚本を

しました。

 

『蟬しぐれ』の時気づいた藤沢先生がお創りになった海坂藩なる藩。

藤沢先生の作品に頻繁に登場する架空の国許・海坂藩。

そうか、この手があったか。

藤沢先生のお作は数本読んでたのになぜ気づかなかったのか。

創作ものなら、自分で藩を作ればええんや、と思い至りました。

 

で作りだしたのが、黒田官兵衛祖の福岡藩の分家、播州黒田藩二万五千石なのです。

 

 

 

氷川きよしクンの『恋之介旅日記・限界突破の七変化』の時も悪役(笑)が、京都所司

代・播州黒田藩藩主でした。すみません悪役で。<(_ _)>   真砂京之介さんが演じら

れました。

 

 

 

で、今回は黒田藩(黒田庄)が舞台です。

 

 

 

ちなみにセリフだけでですが荘厳寺さんも出てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様、是非。

 

 

あ、うちからは加納健次先輩と松岡翔が出ます。

 

 

 

 

 

 

またかよ。 1月10日

〈ま〉の日常

 

 

去年の11月の下旬、ぎっくり腰になりました。(◞‸◟)

 

二年ぶりでした。

 

お薬を飲んで一週間ほどで治りました。

 

 

 

今日、あ、日付が代わって昨日か。

買い物したものを床に置いて、手を洗って、それを前かがみで持ち上げようとし

て……

 

 

あ。

 

 

やっちまった。

 

 

 

 

フリー素材のイラストにこんなんがありました。(^O^)

 

 

 

 

 

新年からこれじゃあまりにもなんで、美しい宇宙のフリー素材をお楽しみください。

なんやそれ。(^.^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ前回の薬があったな。飲も。

 

 

皆さまもお気を付けください。

 

 

 

 

 

 

卯年はぴょんぴょんと 1月1日

ごあいさつ

 

 

皆さま、あけましておめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けて卯年。

 

 

母も、元気で新年を迎えることが出来ました。

 

 

ボクも、今年はぴょんぴょんと飛び跳ねていく所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず今年は 4月新歌舞伎座・三山ひろしクンの特別公演 から始まります。

 

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

あ、それと今晩は『相棒』ですね。

予告編では、秘宝と怪盗と探偵が登場とか。

ミステリー黄金時代のような。(^O^) メッチャ楽しみ。(●^o^●)

 

 

 

なにはともあれ。

 

皆さま、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

今年の漢字 12月31日

ごあいさつ

 

 

いよいよ大晦日。

今年も早かったですわ。

 

 

 

今年の漢字一文字は 『戦』 だそうですね。

 

 

なんか昨今、バラエティで、出演者の方に「あなたの今年の漢字は?」と聞くのが

流行ってるようで。

そこでボクもやってみますね。

 

 

ボクの今年の漢字は 『離』 です。

 

 

 

 

今年は、ここ数十年で一番嫌な年でした。

 

 

親しい人が急にいなくなったり、連絡が取れなくなったり、理不尽にも仕事を取り

上げられたり……

 

 

こんなに凹んだのは何十年ぶりやろ。

 

 

ボクはあまり占いとかを信じる方ではないのですが、思わず見てしまいました。

そうしたら、細木数子さんの六星占術ですか? あれだと、なんと、今年は大殺界

の真っただ中なんですって。そのかわり、来年からは上向くそうです。

 

でも、高島易じゃ、最高の飛躍運なんですよ。

 

どっち信じたらええねん。

 

 

 

もう気にするのやめよ。

 

 

 

来年こそはいい年でありますように。

 

 

 

さてさて、毎年恒例。

今年の、誰も待っていない池田に起こった出来事のベストスリーです。m(__)m

 

でも、今年は止めときますわ。

 

そうかて、どう考えても結局コロナやし。

今年もまた舞台がコロナで無くなったし。 

それに、上位はすべて嫌なことだけやし。

  

なので今年はやりません。

 

 

 

 

 

でもでも、

今年はいろんな企画を考えました。

 

で来年はその準備の年にしようと思っています。

 

そして再来年から、新たなことをドンドン進めていこうと企んでおりやす。(^.^)

 

この美しい青空のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さま、今年も本当にありがとうございました。

 

来年もよろしくお願い申し上げます。

 

それでは皆さま、良いお年を。

 

 

 

 

 

 

竜ちゃん 12月30日

 日記

 

 

あき竹城さんがお亡くなりになられました。

 

 

 

 

 

 

 

ボク、一度だけ名鉄ホールでお仕事をいたしました。

加賀まりこさん、田村亮さん、山本周五郎原作の『花の三十振袖』です。

 

古くは関千恵子さんや若水ヤエ子さん、そして塩沢ときさん同様、真面目にお芝居を

なさっても、面白さがにじみ出る素晴らしい女優さんでした。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

そして、今年は……

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなりました。

 

ボク、亡くなった時に、一旦ここにアップしようとしたのですが、ショックだった

のと、ボクなんかより、もっともっと関わりの深い方がたくさんいらっしゃるのに、

何だか便乗してるみたいで……止めました。

 

もう年末なので……

 

 

昔、まだお互い二十代前半のころ、ボクは劇団NLT、彼はテアトル・エコーの養成

所(俳優教室)の生徒でした。つまり最初は接点はなかったのです。

 

それが、夏休み (養成所も普通の学校のように夏休みがあったんです) に、両劇団

合同で夏期講座が開かれたんです。

 

NLTもエコーも喜劇が専門。片や六本木、片や恵比寿と近いし、それと養成所の先

生がダブってらしたんですわ。岡田正子先生や、楠瀬誠志郎さんのお父君で亡き楠瀬

一途先生とか。

 

それでかどうか、合同での夏期講座となって、なぜか劇団から「お前も受けろ」と言

われて参加しました。全部で10人弱でした。

 

そこに竜ちゃんがいたんです。

あ、寺門クンはなぜかいなかったなぁ。

 

毎日午前10時から12時まで。

で一緒に昼めしを食べる。

 

たまには飲みに行く。

竜ちゃんの知り合いの六本木のスナックにも行きました。

そこにいらしたのが山本昌平さんだったり。(^O^)

 

お互い関西人やからか、飲んで、歌って、ふざけて、笑って。 

 

その頃の竜ちゃんは二枚目でしたよ。あ、見てくれじゃなく、演技が。(^O^)

 

ひと夏を過ごし、それぞれ別れて。

 

それから数年してテレビを見ていたら、何と竜ちゃんがダチョウ倶楽部という名でお

笑いで出てくる。驚いたなぁ。あ、その頃はまだ南部さんもいた頃です。

 

 

ボクはというと、劇作家デビューして、その頃知り合ったお偉い方に、ある日六本木

のクラブへ連れて行ってもらいました。

そこはショーパブのように演技スペースがあって、そこにダチョウ倶楽部が出てきた

んです。まだ南部さんもいる4人体制です。

 

短いコントの後、パイ投げが始まりました。パイ一皿確か200円やったと思います。

それを買ってダチョウさんめがけてぶつけるんですわ。

 

ボク出来ませんでした。

 

そしたら竜ちゃんと目があったんです。

竜ちゃんは目と仕草で「投げて」と言いました。

その時、連れて行ってくださった方が「パイの売り上げの幾らかが彼らに行くんだよ

」と仰って、買ってくださって。それで竜ちゃんを見ると「カモン」。

思いっ切り竜ちゃんに投げました。

 

終わって、会いたくて、店の人に聞くと、その店の入るビルを出て、横の路地を入る

とスタッフの喫煙所があるとのこと。で行きました。

しばらく待っていると、顔を洗った竜ちゃんが出てきました。

竜ちゃんは「イケちゃん (ボクはそう呼ばれてました)、俺たち、バカなことしてるだ

ろ」と言いました。

ボクは「何で。立派やん」と答えました。

 

 

それから彼らは3人体制になり、あれよあれよでお笑い界の一角を占めるようになり

ました。

 

彼らは太田プロさんです。何人も仕事をしました。山田邦ちゃん、高島礼子さん、

去年もマシンガンズさんやパーマ大佐としています。

 

だから、いつかは竜ちゃんと仕事をする日が来ると、ずっと楽しみにしていました。

 

もうあの夏期講習で共に学んだ仲間で、この世界に残っているのは、竜ちゃんとボク

しかいません。

 

だからいつかきっと、仕事ができると信じてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクは、太田プロさんやお笑い芸人さんのように、竜ちゃんとは大した縁もありませ

ん。

 

でも、彼がお笑いに行く前の、演劇の、若き日の竜ちゃんと関わりました。

 

テレビの前でですけれど、何の役にも立ちませんけれど、ずっと応援してました。

 

 

 

その竜ちゃんが亡くなりました。

 

どんな想いだったのか……

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

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